やまださんのブログで特に「本のレビュー」を書かせていただいているアキです。
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読書の秋到来ですね。みなさんはどんな愛読書がありますか?
今日は私がとても好きな本『嫌われる勇気』の面白いところを紹介したいと思います。私は正直いってずいぶんこの本に救われました。
この本はアドラー心理学の内容を、哲人と若者の対話の形でわかりやすくあらわしています。
日本国内で228万部、世界で500万部の発行部数となるベストセラーであり、読んだ人からは「読んでよかった」「重苦しく思っていた人間関係の考え方が楽になった」など、大きな反響があります。
今回は『嫌われる勇気』の読みどころを私なりみ3点にしぼって紹介します。
1、「原因論」でなく「目的論」 心の声を大事に
こんな経験はないですか。「雨が降ったから営業に行くのは迷惑かも」と足が遠のくことなど。。
目的論 目的が先にあり、原因、言い訳しているのでは?
しかし、心の底での本当の気持ちは、「雨が降ったから」という原因に関係なく、「営業に行くのが嫌だ」という目的があり、そのためにいろんな原因や言い訳を後付けしていることはないでしょうか。
これが目的論の見方であり、アドラー心理学の見方です。目的が本当に「やりたい」ことであれば、どんなに雨が降ろうがやろうとするのです。
目的論から得られるのは言い訳を許さない姿勢
この見方から得られることは、一切の言い訳を許さない姿勢です。「過去にこんなことがあったから、いま自分ができない」という心のトラウマは普通によくわる話ですが、アドラーの目的論から見れば、トラウマは存在しないということになります。
過去に何があろうとも、いまこれから幸せな人生を生きようとした瞬間に人生は幸せにできるというこの見方は、とても厳しいように見えて、実は本質をついているといえます。
自分の目的を大事にするために嫌われることがあるかもしれませんが、嫌われる勇気をもってでも自分の目的を大事にしようということです。
よりよい人生を生きるという目的をもつことで、人生をよくできるのです。
何があろうが目的を一番大事に
本当にやるべきだと思うなら、「雨でも雪でもやれる方法を探ってやるには」となるはずです。
自分の心の声である本当の目的を大事に生きるって大事なことなのに後回しにしていないでしょうか。私は、目的、心の声を一番大事にできるようになりました。
〇〇があったからできない、でなく、〇〇があろうがやりたいことをめざす人生って楽しいと思っています。
2、課題の分離 人の課題に介入しない
アドラーの教えの大きな内容に、「課題の分離」というものがあります。
水を飲むのは飲むものの課題
これをあらわした有名な言葉で「馬を水辺に連れていくことはできるが、馬に水を飲ませることはできない」というものがあります。
水を飲むことは馬の課題であるということです。
すべての悩みは対人関係にある
アドラーの教えで、すべての悩みは対人関係にあるというものがあります。
私たちが悩むときの多くは、他人の課題をどうにかしようとしていることが多いのではないでしょうか。
子育てされている方が、子に「勉強しなさい」と言ってもしなくて悩むことがあるとします。
勉強するかどうかは子の課題だから、完全にコントロールできないものです。それをコントロールしようとしてうまくいかないから悩むという構図です。
「他人の課題」に手を出さない
「課題の分離」の考え方は、「自分の課題」には向き合っても、「他人の課題」まで手を出そうとしないということです。言い方を変えれば、自分がどうしようもできないことをどうかしようとしないことです。
「課題の分離」の見分け方で、誰の課題になるかということは、最終的にその選択による結末の責任をだれがとるのかということです。
勉強しない子は勉強が遅れて学校で先生に怒られるだろうし、それらは自分の人生にふりかかってくることでしょう。
親は世間体とかを目的に「勉強しなさい」というのでしょうが、最終的にその結果の責任を負うのは子です。
人に親切にするのは大事なことですが、相手の課題に手を突っ込んでも、思うようにならないので悩みにつながります。
「課題の分離」で楽になる
「課題の分離」の目で、「自分の課題」と「人の課題」を分けることで私もずいぶんと楽になりました。
例えば仕事の休み時間にお店の電話が鳴ることを気にして気が休まらないときもありましたが、休み時間は店の電話を気にしなくてもいい、それは「自分の課題」ではないと頭を切り替えて、スッキリお昼休みをとるようになりました。
最初は嫌われるかもと思いましたが、そんなことはありませんでした。嫌われないように人の機嫌をとったり、尊宅ばかりしていては自分の人生の目的を見失います。嫌われる勇気をもって「自部の課題」だけに向き合いましょう。
3、承認欲求の否定 ほめない、ほめられようとしない
アドラーの教えでは、承認欲求を否定し、相手を「ほめる」ことを否定します。
「ほめる」行為に隠された上下関係
「ほめる」という行為は、立場が上の人が下の人に行うことであり、そこには上下関係がうまれます。
アドラーは人間には上下関係はなく対等の関係こそが望ましいと見ます。
では、「よくできました」「すばらしい」とほめるのではなく、どう接したらいいのでしょうか。
ほめるのではなく感謝を伝える
それは、「ありがとう」と感謝を伝えることだといいます。
幼い自分の子がお茶をいれてくれたときに、「いい子だ」「よくできました」と上から評価するのではなく、対等の立場で「ありがとう」と感謝を伝えるということです。
現代の日本ではSNSの普及のなかで、「いいね」と気軽に他人の投稿や写真を評価することが普通に行われています。
私は、「いいね」ということに前から違和感があり、誰の投稿も尊重すべきものだと思ったときに軽々しく評価することに疲れていたことがありました。
ずっといいねをしている人に、急にしなくなったら何か思われるんじゃないか。。とか。。ですね。それこそ嫌われることが怖くなる感覚に襲われました。
また自分も「いいね」が多いとか少ないとか、「いいね」が増えるような投稿へと誘導されているような違和感ももっていました。
「いいね」に気をとられなくなって心が軽くなった
『嫌われる勇気』を読んで、私はSNSはほとんど見るだけになり、「いいね」に気を取られることがなくなり、人生が楽になりました。
アドラーの見方を知るだけでも楽になる
アドラー心理学を知れば、不要なトラウマや他人の課題、承認欲求などに気づくことができて心が軽くなります。
『嫌われる勇気』をまだ読んでいたい方は、読んでみることをおすすめします。
まったくアドラーの通りに生きることは難しいかもしれないですが、そういう見方があることを知るだけでも楽になれると思います。